宗祖としての親鸞聖人に遇う

直感すること

(安藤 義浩 教学研究所研究員)

 将棋の世界に羽生善治さんという天才がいる。デビュー以来、数々の記録を打ち立て、獲得したタイトルは八十を超える(歴代一位)。さる五月には通算八度目の名人位に返り咲き、四十三歳になった今も現役トップの棋士だ。羽生名人は著書のなかで自身の棋風について次のように語る。

 

これまで公式戦で千局以上の将棋を指してきて、一局の中で、直感によってパッと一目見て「これが一番いいだろう」と閃いた手のほぼ七割は、正しい選択をしている。
直感力は、それまでにいろいろ経験し、培ってきたことが脳の無意識の領域に詰まっており、それが浮かびあがってくるものだ。まったくの偶然に、何もないところからパッと思い浮かぶものではない。

(『決断力』角川書店)

 

 また、学問の世界には島薗進さんという多才な学者がいる。元東京大学教授(現上智大学グリーフケア研究所所長)で、宗教学、近代日本宗教史、死生学を専門とし、さまざまな社会問題に対して提言を行うオールラウンダーだ。昨年の日本生命倫理学会では、原発放射線被曝問題に関するシンポジウムで発題し、そのなかで学問に取り組む自身のスタンスをおおよそ次のように語った。

 

私は実践的・フィールド的な感覚を好んで研究をしてきました。ここがおかしいというところをついていけば、大事なものが出てくるであろうということです。

 

島薗さんも直感を大切にしていることが分かる。「ここがおかしい」というこの直感は、幅広い知識に裏付けされたものだからこそ、そこを掘り下げていけば「大事なものが出てくる」のであろう。
 宗祖親鸞聖人もこのような直感力の持ち主だったのではなかろうか。法然上人に出遇ったとき、宗祖は次のように直感したと私は想像する。
 ―この人は本当のことを語っている―
 二十年におよぶ比叡山での学びと苦悩が深かった分、それはとてつもなく研ぎ澄まされた直感だったであろう。そして、この直感は宗祖の強靱な聞思によって確かめられていき、

 

親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり

(聖典六二七頁)

という信念となった。

 また本願の教えとして『教行信証』に体系化された。

慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀を知りて、良に師教の恩厚を仰ぐ。

(聖典四○○頁)

そのような視点であらためてこの大書を拝読したい。その上で、今度は頭を真っ白にした状態で拝読し、宗祖のおこころを直感してみたい。

(『ともしび』2014年8月号掲載)

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