不思議の信心
宗務総長 木越 渉
一月に発生した能登半島地震から二ヵ月が経過しました。被災された皆様、今なお不安の中にある皆様方に、心よりお見舞いを申し上げます。
宗派において引き続き、息の長い被災地支援活動に尽力してまいる所存です。
さて、能登地方には、「あたわり」という言葉があります。これは信仰生活を通して「他力」ということを言い当てた言葉です。お念仏は、私にまで「あたわった(届けられた)」ものとして、「人と生まれて 能登の大地に親鸞と生きん」とする信仰の生活が大切に紡がれ、土徳が根付いている地域です。
関連して、次の言葉は、鈴木大拙師が八十年前に刊行された『日本的霊性』の一節です。霊性とは、宗教精神を意味します。
(前略)
春の暖かさは、大地に萌ゆる草花によりて親しく感ぜられる。単にこの身の気持がよいだけでは、天日の有難さは普遍性をもち得ぬ。大地と共にその恵みを受ける時に、天日はこの身、この一個の人間の外に出て、その愛の平等性を肯定する。本当の愛は、個人的なるものの奥に、我も人もというところがなくてはいけない。ここに宗教がある、霊性の生活がある。
(『日本的霊性』四十五頁)
大拙師は、禅をはじめとする日本の仏教文化を海外に紹介され、親鸞聖人の主著『教行信証』を英訳されたことなどで有名ですが、五十歳からの約四十年間に亘り、当派宗門校の大谷大学に奉職された方でもあります。
『日本的霊性』では、仏教がインド・中国を経て、日本の法然上人と親鸞聖人においてはじめて、「因果を破壊せず、現世の存在を滅絶せずに、而かも彌陀の光をして一切をそのまま包被せしめた」と、浄土教(他力思想)が救いの道を開く教えであることに触れられています。
特に、親鸞聖人の越後や関東での民衆との暮らしを、「大地の生活は真実の生活である、信仰の生活である、偽りを入れない生活である、念仏そのものの生活である」と述べられています。
また、『浄土系思想論』においては、「霊性はすでに無分別の分別故、仏教文字を使えば、仏智不思議ということに外ならぬ」と著されています。
私たち真宗門徒は、仏法を拠り処として、現実との狭間で生活を営んできました。
つまり、仏法と生活は不即不離の関係にあって、聞法によっていただいたことを、生活の上に確かめていく歩みを大切にしてきたのです。
その聞法生活において、時や場を超え、自分をも超えた「無分別の存在(仏・諸仏)」からの「はたらき(仏智)」を知ることによって、信仰心(仏性)が育まれてきたのです。
この仏智の不思議を、親鸞聖人は御和讃において、こう述べられます。
十方三世の無量慧 おなじく一如に乗じてぞ
二智円満道平等 摂化随縁不思議なり
(「浄土和讃」『真宗聖典』四八二頁)
『正信偈』に「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」とありますように、如来の本願を信じ喜ぶ心が我が身に起きる時、煩悩の絶えないこの私が、この私のままに摂取される。正に仏智の不思議を感得させていただくのです。
それは、如来の大きな慈悲(大悲)に抱かれ、いのちの大地(浄土)を共にする自他の存在を、有難く頂戴していく世界でもあります。
出会いや旅立ちによって新たな生活が始まる春。真宗本廟にあらためて直参し、私たちに届けられし教えを受けとめる機会として、また、その教えを大切に聞いてこられた被災地の方々を憶う機会として、相共にお念仏を申しましょう。
一人でも多くのご参拝を、心よりお待ちしております。
南無阿弥陀仏
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