1月29日、法務省が死刑囚4名の死刑を執行したことについて、真宗大谷派では1月30日、宗務総長名による宗派声明を発表しました。
1月29日、法務省が死刑囚4名の死刑を執行したことについて、真宗大谷派では1月30日、宗務総長名による宗派声明を発表しました。
1月29日、福岡拘置所で2名、東京拘置所で1名、名古屋拘置所で1名の死刑が執行されました。
私たちは、1998年6月29日以来、死刑が執行されるたびに「死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明」を宗派として表明し、教団内はもとより、 広く社会に対して死刑制度について論議していくことの大切さを呼びかけてまいりました。しかし、このたび私たちの願いが聞き届けられることなく、死刑が執行されました。2007年の12月以降、およそ2ヶ月ごとに、わずか1年余りの間にあわせて22名もの死刑が執行されたことは、誠に悲しむべきことであり ます。
私たちは、それぞれの事件に関して、犯罪を憎むあまりに、どうして犯罪を起こしたのか、どうして罪を犯す人間になってしまったのか、ということについて深く考えることのないまま、犯罪者の極刑を望みます。自分自身は決して罪を犯すことがないと無意識のうちに思っているからなのです。私たち人間は、誰でも様々な理由や条件によっては、罪を犯すかもしれない存在であることを、まず認めなければなりません。かけがえのないいのちを奪う殺人という行為は、決して許されることではありません。しかしその犯罪を起こした者のいのちを奪う死刑の執行は、私たち人間が取り返しのつかない罪をさらに重ねることに他なりません。日本において存続している死刑の執行は、罪深い人間の闇を自己に問うことなく、罪を犯した人だけを排除して、名ばかりの正義を実現しようとするものです。
死刑執行を続けることは、私たちの社会が罪を犯した人の立ち直りを助けていく責任を放棄し、共に生きる世界を奪うものです。死刑制度は被害者遺族をも救うことのない制度であり、そればかりでなく、応報感情をあおり、人々を分断する制度であります。加害者の悔悟や反省が成し遂げられることも、被害者遺族の悲しみや怒りが癒されることも、死刑制度を持つ社会では困難です。
親鸞聖人の師法然上人は、九歳のとき実父の殺害に遭われますが、父から「決して仇を恨んではならない。もし互いが報復を繰り返せば、殺し合いが限 りなく続く世の中になってしまうであろう」という遺言を受けておられます。人間の応報感情を前提として、死刑の執行を続けることは問い直されなければなりません。釈尊は「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」と教えられています。私たちは、たとえどのような罪を犯した人間、また未だ反省や悔悟の気持ちを表現することにいたらない人間であっても、それを排除することなく、かけがえのないいのちとして尊重することをとおして共に生き合える世界を、阿弥陀如来の本願として教えられています。私たちはその根源の願いに立って、一人ひとりの人間が、いのちの尊厳において見出される社会の実現を願うものであります。
私たちは、死刑に関する意見や立場の違いを認め合いながら、遺族の救済のあり方を含め、この制度について論議していく場を開いていかなければならないと考えます。
ここに、あらためて今回の死刑執行に遺憾の意を表明すると共に、今後の死刑執行を停止し死刑制度についての論議が開かれ、死刑廃止に向けての取り組みが進められますよう願うものであります。
2009年1月30日
真宗大谷派宗務総長 安原 晃