12月18日、法務省が死刑囚2名の死刑を執行したことについて、真宗大谷派では12月21日、宗務総長名による宗派声明を発表しました。
<br/ > <br/ >死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明
12月18日、仙台拘置支所で1名、東京拘置所で1名の死刑が執行されました。
私たちは、死刑が執行されるたびに「死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明」を宗派として表明し、広く社会に対して死刑制度について論議していくことの大切さを呼びかけてまいりました。しかし、このたびも死刑が執行されたことは、誠に悲しいことであります。
この中の1名の死刑囚への刑の執行は、裁判員制度で死刑が確定した事件における初めての事例となりました。これまで大谷派は、「死刑制度に反対し裁判員制度の見直しを求める声明」において、人の死にかかわる決定に一般の国民が関与することへの深い憂慮を示してきました。このたびの執行は、加害者、被害者とそれぞれの家族に加えて、死刑という形で人のいのちを奪うことに苦悩する人を新たに生み出しました。
もちろん、かけがえのないいのちを奪う殺人という犯罪は、決して許されることではありません。被害者の方々の悲しみ、また、加害者への怒り、憎しみ、義憤など、その心情は察するに余りあることは申すまでもありません。
私たち人間は、誰でも条件によっては罪を犯す存在です。そして、私たちはそれぞれの事件に関して、犯罪を憎むあまりに、どうして犯罪を起こしたのか、どうして罪を犯すことになってしまったのか、その背景を深く考えることなく犯罪者の極刑を望みます。
しかし、その犯罪を起こした者のいのちを奪う死刑の執行は、法に基づくものであれ、国による殺人であることに変わりがなく、私たち人間が取り返しのつかない罪をさらに重ねることに他なりません。死刑の執行は、人間の抱える深い闇を自己に問うことなく、罪を犯した人を排除しただけであり、問題の解決には決してつながっていきません。
死刑執行を続けることは、加害者の悔悟や反省の機会を奪い、私たちの社会が罪を犯した人の立ち直りを助けていく責任を放棄し、共に生きる世界を閉ざすことにつながります。
死刑制度は被害者遺族を救う制度なのでしょうか。死刑の執行によって、被害者遺族の悲しみや怒りが本当に癒されるのでしょうか。
私たちは、死刑に関する意見や立場の違いを認め、遺族の悲しみや思いに向き合いながら、この制度について論議していく場を開いていかなければならないと考えます。
ここに、あらためて今回の死刑執行に遺憾の意を表明すると共に、今後は死刑執行を停止し死刑制度についての論議が開かれ、死刑廃止に向けての取り組みが進められるよう願うものであります。
2015年12月21日
真宗大谷派宗務総長 里雄 康意