2005年10月25日、東京地方裁判所において韓国・小鹿島更正園(ソロクト)及び台湾・楽生院の入所者が原告となり起こした、ハンセン病補償金不支給決定取消請求訴訟の判決に対して宗派声明が表明されました。
ハンセン病補償金不支給決定取消請求訴訟判決に対する声明
本日、東京地方裁判所は、韓国小鹿島更生園(以下「ソロクト」)入所者117人、台湾楽生院入所者25人の原告らが起こした、ハンセン病補償法 (以下「補償法」)に基づく補償金の不支給処分取り消しを求める二つの行政訴訟に対し、韓国の原告らの訴えを棄却する一方、台湾の原告らの訴えについては全面的に認めるという、全く異なる判断を示しました。
真宗大谷派は、台湾の原告らに対する判決を、隔離からの解放を訴えた原告らの声に応え、2001年5月11日、熊本地方裁判所が示した「「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟」(以下「国賠訴訟」)の判決と、それまでの闘いの精神に沿うものであると、強い共感をもって受け止めます。
また、今回の訴訟において、弁護団はもとより、ハンセン病療養所の入所者、退所者、遺・家族、そして国境を超えた多くの支援者たちの連帯の輪が形作られたことに、大きな意義を感じるものであります。
そもそも、この裁判での大きな争点は、日本統治下のソロクト、台湾楽生院が、「補償法」に規定する「国立療養所等」に該当するのかどうかということでした。それに対して勝訴判決では、「補償法は広く網羅的にハンセン病の救護・療養施設に入所していた者を救済しようとする特別な立法」であり、「国籍や居住地による制限もないと解すべきである」と指摘し、「強制隔離された施設が台湾にあったというだけの理由で、補償対象から除外することは平等取り扱いの原則から好ましくない」という明解な判断を示しました。このことは国賠訴訟判決を受けて制定された「補償法」の立法の精神を尊重したものであり、今後のハンセン病問題に対する国の施策基盤を改めて示す、極めて重要な判断であると受け止めます。
一方、韓国の原告らの訴えが棄却された判決は、旧植民地統治下の施設入所者の被害実態が明らかになっていなかった、「補償法」制定過程における国会審議を背景として導き出されたものであり、いうならば、加害の側にある問題を理由に、被害者の訴えを退けようとするものであります。まさに、人のいたみ、苦しみに正面から向き合おうとしない判決であり、さらにこの判決が、原告の隔離の苦しみをさらに増幅させるものであることを思うとき、悲しみの情を禁 じ得ません。
誠に遺憾であります。
翻って、私たちはこの訴訟から多くのことを学びました。公判では原告らが、長時間労働の強制、懲罰としての断種の実施、日本人職員による暴力的支配など、日本国内の療養所以上に過酷な状況にあったことを証言されました。これらの証言によって明かされた事実は、私たちの想像をはるかに超えるものであります。
私たちはこの事実から、病と隔離の苦しみに加え、植民地下の苦しみが入所者のうえに重くのしかかっていたことを教えられました。そして同時に、現在においてなお、私たちに聞こえない、聞こうとしない被害者の声が厳然として存在していることに気づかされたのであります。
その意味では、今回の訴訟は、かつて日本が侵略・統治した国の人々に今なお残る深い心の傷と、その歴史に真に向き合いきれない私たちのあり方を、改めて見つめなおす契機となりました。
私たちは、1996年に「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」を公表し、ハンセン病隔離政策に加担してきた歴史と向き合っていくことを表明いたしましたが、今後もこの課題から眼を背けることなく、あらゆる差別からの人間の解放と、非戦・平和に向けた歩みを進め、もって「同朋社会の顕現」という真宗大谷派宗門存立の使命を果たしてまいりたいと思います。
以上、今回の判決に対する所懐を述べましたが、日本政府及び国会におかれては原告の人たちに、二度と同じ苦しみ、悲しみを与えることがないよう、真剣にソロクト、台湾の入所者の被害と向き合われ、速やかに両療養所の入所者を補償対象とされるよう強く願うものであります。
2005年10月25日
真宗大谷派宗務総長 熊谷 宗惠