7月28日、法務省が死刑囚3名の死刑を執行したことについて、真宗大谷派では7月31日、宗務総長名による宗派声明を発表しました。
死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明
7月28日、大阪拘置所で2名、東京拘置所で1名の死刑が執行されました。
私たちは、1998年6月29日以来、死刑が執行されるたびに「死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明」を宗派として表明し、教団内はもとより、 広く社会に対して死刑制度について論議していくことの大切さを呼びかけてまいりました。しかし、このたび私たちの願いが聞き届けられることなく、引き続き死刑が執行されたことは、誠に悲しむべきことであります。
2007年の12月以降、わずか1年8ヶ月の間にあわせて25名もの死刑が執行されました。私たちは、このように死刑の執行が当然のことであるかのように、定期的に行われることに対して深く憂慮いたします。今一度立ち止まって、死刑の執行を停止し、制度そのものを問い直すことを求めます。
5月21日より「裁判員制度」が開始されましたが、死刑制度についての議論が十分に果たされていない社会状況の中で、国民の多くは不安を感じています。
私たち人間は、誰でも理由や条件によっては、罪を犯すかもしれない存在であります。かけがえのないいのちを奪う殺人という行為は、決して許されることではありません。しかしその犯罪を起こした者のいのちを奪う死刑の執行は、私たち人間が取り返しのつかない罪をさらに重ねることに他なりません。日本において存続している死刑の執行は、罪深い人間の闇を自己に問うことなく、罪を犯した人だけを排除して、名ばかりの正義を実現しようとするものです。
死刑執行を続けることは、私たちの社会が罪を犯した人の立ち直りを助けていく責任を放棄し、共に生きる世界を奪うものです。死刑制度は被害者遺族をも救うことのない制度であり、そればかりでなく、応報感情をあおり、人々を分断する制度であります。加害者の悔悟や反省が成し遂げられることも、被害者遺族の悲しみや怒りが癒されることも、死刑制度を持つ社会では困難です。
釈尊は「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」と教えられています。私たちは、たとえどのような罪を犯した人間、また未だ反省や悔悟の気持ちを表現することにいたらない人間であっても、それを排除することなく、かけがえのないいのちとして尊重することをとおして共に生き合える世界を、阿弥陀如来の本願として教えられています。私たちはその根源の願いに立って、一人ひとりの人間が、いのちの尊厳において見出される社会の実現を願うものであります。
私たちは、死刑に関する意見や立場の違いを認め合いながら、遺族の救済のあり方を含め、この制度について論議していく場を開いていかなければならないと考えます。
あらためて、今回の死刑執行に遺憾の意を表明すると共に、今後の死刑執行を停止し死刑制度についての論議が開かれ、死刑廃止に向けての取り組みが進められますよう願うものであります。
2009年7月31日
真宗大谷派宗務総長 安原 晃