えっ!仏教語だったの?

た行

退屈(たいくつ)

学校の教室から声が漏れてきます。「ああ、退屈や。全然おもしろくない」「おれも退屈や、何か暇つぶしないかな」
現代の「退屈」は「ヒマで飽きあきすること」ですが、もとは「仏道修行の厳しさに屈し、退いてしまうこと」を意味します。「仏道に生きようと決心をした者が志半ばで挫折した。そのまま志を見失ってしまえば死んだも同然、あとはヒマで飽きあきした人生があるのみ」となったのでしょうか。この意味は日本で独自に展開したものだそうです。展開する意味の中に、幾多の挫折した先人のうめきが聞こえてくるようです。
ところで現代は、「ヒマで飽きあきすること」すら許さないかのごとく、さまざまな情報が絶えず耳に流れ込んできます。疑問なしにその情報を追っていけば、次々と「したいこと」が反射的に湧き起こってきて刺激的な人生を歩むことができるのだと。もしかしたら、現代の日本では「退屈」の意味が「刺激的な情報が遮断された時」に展開してしまってはいないでしょうか。
退屈の心は「自ら起こす」ものだと記されています。「自分のしなければならないことが見失われてしまった」と自らの起こす黄色信号が「退屈」なのです。「退屈」は、ヒマつぶしで解消させてはいけません。「退屈」そのものが「見失っている志を見つけなさい」と、自らの歩む方向を指し示しているのです。まず「刺激的な情報」から、大切な「退屈」を守らなくてはいけないのが現代のようです。

埴山和成 はにやま かずなり・大谷専修学院指導補
月刊『同朋』2001年12月号より

大衆(たいしゅう)

近所に「大衆酒場」という暖簾(のれん)の飲み屋さんがあります。以前は流通していた「大衆浴場」「大衆芸能」「大衆文学」など、今ではあまり目にしなくなりました。この言葉はもともと仏教語だったようです。
三帰依文(さんきえもん)には「僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無碍(むげ)ならん」と記されています。まあ正確には「だいしゅう」と発音するのでしょう。仏教用語での「大衆」は仏法によって調和のとれた人々の集まりという意味です。
ある先生が「私は一切衆生(いっさいしゅじょう)の中のひとりだが、同時に、一切衆生を代表するひとりでもある」と言われていました。大衆の中の一人だということになると、「その他おおぜいの中のひとり」という意味になり、なんだか元気が出てきません。「自分なんかいなくても世の中にはまったく関係ないぜ!」という感情がわいてきます。しかし、大衆を代表するひとりだということになると、ちょっと違います。ご飯を食べるのも大衆を代表して食べているのかもしれない。腹を立てるのも、大衆を代表して腹を立てているのかもしれない。自分は大衆を代表して生きているのかもしれません。こうなってくると、生きることに前向きになってきます。このちっぽけな自分に、まったく愚かしい自分に衆生を代表する意味が与えられる。代表する資格なきものに、代表する意味が与えられる。この醍醐味(だいごみ)が「大衆」という言葉の響きにはあるように思います。

武田定光 たけだ じょうこう・真宗大谷派因速寺住職
月刊『同朋』2001年10月号より

大丈夫(だいじょうぶ)

<世間の会話> Aさん「小さい時はひ弱だったのに、ずいぶん丈夫な身体になったね。それにこんなにしっかりした丈夫な家も建てて。あ、ところでCさんとの関係は大丈夫なのか?」
Bさん「ああ、ダイジョウブ大丈夫だよ」
<仏教語訳> Aさん「小さい時は体も弱かったけれど、『仏になる志が強い人は、どのような困難をもモノともせずに立ち向かっていける』ことにたとえられるような、しっかりとした身体になったね。それにこんなに立派な『どのようなものにも揺るがない強い志』を形に現わしたような家も建てて。あ、ところでCさんとの関係は『いつ、どこにあっても忘れないはっきりとした成仏道への志』のように、大切にしているんだろうね」
Bさん「ああ、志は、はっきりしているよ。ふたりの関係を深めて、どのような困難をも受けとめていける浄土に開かれた家庭を作っていくよ」
『大無量寿経』に、完全にさとりを得た人(仏)の別号として『調御丈夫(じょうごじょうぶ)』があります。「優れた御者(ぎょしゃ)が見事に荒馬を調教するように、仏に成っていく志が人間を調教し制御する」という意味です。さんは無意識の内に仏教の伝統の中にいて、すごい会話?をしていたのです。
ただ、「丈夫」は男性という意味がもとです。個人の資質、能力や性差、社会性に成仏道の根拠を置く自力の教えは、「志堅固(けんご)」を「男性」で喩(たと)え、女性を貶(おとし)めてしまいましたが、「丈夫」の世俗化は「しっかりしている」意味だけを伝えています。今、仏教語として捉え直す時に忘れてはならない事柄です。

埴山和成 はにやま かずなり・大谷専修学院指導補
月刊『同朋』2001年9月号より

達者(たっしゃ)

“達者でな”という歌がずいぶん昔にはやった。別れゆく愛馬に対して、健康であってほしいという馬子(まご)の優しい心情を歌ったものであった、と記憶している。このように「達者」は、今では健康を意味する言葉として日常よく使われる。また、芸達者等と言う場合は、その芸の達人を意味する。これも元は仏教語で、真理に到達した覚者を、表す言葉である。学ぶべきことを学び終わり、真理に到達して心も身体も健康な者、から現代の意味に転じたのであろう。
それにしても、人として学ぶべきことを学び尽くしたとは、少し厚かましい言い方のようでもある。現代のような多様な価値観の中で生きる我われには、生涯学び続けても学び尽くした、とは言えないように思われる。仏教では、一体何を学べば全てを学び終わった、と言えるのであろうか。
お釈迦さまは、シャカ族の王子であった。若いシッダールタは感受性が強く、ふとしたことにも考え込む青年であった。父王は、彼が出家などせず立派な王になるよう、心を痛めた。ある日、シッダールタは、遊園に出かけるため、城の東門から外に出た。そこで彼は、老人に逢うのである。皮膚は真っ黒で骨と皮にやせ細り、二つに折れまがった身体に杖を持ち、震えながら歩いては倒れ、また立ち上がるといったふうである。頭は白く歯はまばらに抜け、首の皮は牛の首のようにしわだらけである。馭者(ぎょしゃ)に、「あなたも必ずあのような老人になる」と教えられたシッダールタは、突然、城にひき返しふさぎ込むのであった。同じように、南門から出た時は病人に、西門から出た時は死人に、北門から出た時は、沙門(しゃもん・修行僧)に逢うのである。沙門は、糞雑衣(ふんぞうえ)をまとい無一物ではあっても、人間存在が持つ生老病死(しょうろうびょうし)の苦を超えて、輝くような顔であった。その沙門を見て、人間が解くべき本当の課題を教えられたシッダールタは、出家し、やがて菩提樹(ぼだいじゅ)の下でその課題を解き、真理に到達した覚者となるのである。
平均寿命の飛躍的な延びによって末期医療が問題となっている昨今、人として本当に学ぶべきことは何かを、このお釈迦さまの四門出遊(しもんしゅつゆう)の教えに、あらためて教えられることである。

延塚知道 大谷大学教授・真宗学
大谷大学発行『学苑余話』生活の中の仏教用語より

他力本願(たりきほんがん)

よく誤解して用いられることばに他力本願という語がある。以前、政府のある大臣が国会の答弁で、「自分の国のことは自分でしなければならぬ、親鸞の他力本願では駄目だ」と発言したことがあった。親鸞は、このような依頼心という意味でこの語を用いることはない。「往生は、なにごともなにごとも、凡夫(ぼんぶ)のはからいならず、如来の御(おん)ちかいに、まかせまいらせたればこそ、他力にてはそうらえ」(『御消息集』)。私たちは、何か大きな力に支えられて生きている。吐く息、吸う息、ひとつとしてわが力でできるのではない。他力は、その自覚の宗教的表現であるといえる。

安冨信哉 大谷大学教授・真宗学
大谷大学発行『学苑余話』生活の中の仏教用語より

畜生(ちくしょう)

仕事や人間関係がうまくいかない時、他人(ひと)からとがめられた時、腹立ちのあまり、思わず、誰に言うわけでもなく、「畜生」と愚痴ることがあります。また、ある時には自分に敵対する具体的な相手をののしり、さげすんで「こん畜生!」と吐き捨てることもあります。
どちらにおいても共通していることは、畜生と叫んでいる時は、自分はその畜生の枠(わく)の外にあるということです。
畜生とは他人(ひと)のことであって、決して自分ではないのです。むしろ、他人(ひと)を傷つけたことには無頓着で、傷つけられたことに執着して、畜生と罵倒(差別)することで自分の存在を癒(いや)しているようでもあります。
その意味では、どうも私たちが日常生活で用いている畜生は、仏教語としての畜生が、人間であることを見失った自分を自覚する言葉であるのとは違って、相手を誹謗中傷する差別語として機能しているようであります。
親鸞聖人は『教行信証』に『涅槃経』を引用して、自分を見失っている存在を「無慙愧(むざんき)」は名づけて「人(にん)」とせず、名づけて「畜生」とす、と言われています。それはあらゆるいのち生きるものを踏みつけ、傷つけ、殺して恥じない私たちに対して、それは人間ではないと、人間を見失った私と私の世界を問う言葉として畜生の語をいただかれていることです。
つまり、畜生の語は他人(ひと)を差別したり、また、それを実体化して実際の犬猫などの生きものを見くだして言う言葉ではないのです。

尾畑文正 おばた ぶんしょう・同朋大学教授
月刊『同朋』2001年8月号より

超(ちょう)

「チョーおいしいでー」。私の隣で、小学校4年生のゆりかちゃんがコンビニのグラタンを食べています。「チョー腹が立つ」「チョーおもしろい」…これほど「超」がチョー使われる時代もなかったのではないでしょうか。価値観が多様化して、ちょっとやそっとの違いでは気持ちを表現できなくなってきたのでしょうか。ゆりかちゃんの言葉の意味を尋ねると、「ものすごく」「最高に」という響きを感じます。
ところで「超」は「完全なさとり」を意味する仏教語です。相対有限という比較の世界を超え出て、絶対無限の世界を感得することをいいます。ゆりかちゃんも比較を超えたおいしさを、そのグラタンに感じたのでしょうか。
ゆりかちゃんが言いました。「おじさん、食べたい?」
絶対無限の世界といっても、独りよがりの世界ではありません。それは、隣のおじさんにとっても美味しいはず。「チョー」には、誰にでも通じるという意味があることが、ゆりかちゃんからも知らされます。「完全なさとり」である「超」も、そのように「一切衆生(いっさいしゅじょう)に超えて通じる」という意味があります。
親鸞聖人はこの相対差別の苦しみの中、どこに一切の衆生がひとつになれる世界があるかを尋ねました。そして「名声超十方」、一切衆生に超えて通じる「南無阿弥陀仏の名号(みょうごう)」こそ「完全なさとり」の用(はたら)きであり、その用きによって相対有限の比較の世界で苦しむ一切の衆生を救おうという、弥陀の本願の歴史に出会われたのです。
親鸞聖人が現代におられたなら、「チョーサイテイ(最低)なる我らなり」と語られた?かもしれませんね。

埴山和成 はにやま かずなり・大谷専修学院指導補
月刊『同朋』2001年6月号より

道場(どうじょう)

往生は「あきらめてじっとしていること」。他力本願は「他人の力をあてにすること」など、意味が全く変質して伝わっています。「がらんどう」は「中身のない空虚なこと」という意味ですが、寺院を意味する「伽藍堂」が語源だとすれば、私たち仏教徒にとっては、耳の痛い言葉でもあります。
ところで、17世紀初頭の※日葡辞書で「道場」を調べてみると「一向宗の寺」「後生の道」という意味が出てきます。道場は、本来お釈迦様のさとりの場を指す言葉ですが、それが特に念仏修行の場を指す言葉として日本で芽吹き、現代にも通用していることは奇跡的なことです。また剣道や柔道の道場は、そこから派生したものです。
しかし道場にも危機がありました。
そもそも道場は、お念仏をよろこぶ人たちが集まって信心を語り合った場がその始まりです。後に僧侶が入り、祖先崇拝の祭祀をつかさどる仕事を受け持つようになることで、寺の威儀を求めて「○○寺」という寺号を取得していきます。そうなると道場は、寺にしない所、寺になれない所、寺よりランクが下がる所の名となりました。そして、お釈迦様のさとりの場というすばらしい名が、人々から軽んじられる意味に変質していったのです。
1981(昭和56)年、真宗大谷派宗憲が改正され、東本願寺は「根本道場」を名のりました。本来の意味の回復です。今こそ「お釈迦様のさとりの場、念仏修行の場」にふさわしい本来の道場を、名実ともに回復していきたいものです。「道場」の意味を「がらんどう」にしないために。

※1603年に刊行された日本語・ポルトガル語の辞書

埴山和成 はにやま・かずなり 大谷専修学院指導補
月刊『同朋』2003年7月号より

道楽(どうらく)

昨今「道楽」という言葉は、ずいぶん旗色が悪い言葉になっています。「道楽息子」とか「道楽者」という言葉を耳にすると、ドキッとします。しかし、もともとは仏教語で「悟りの楽しさ」を表現した言葉です。また親鸞聖人は『正信偈(しょうしんげ)』で「信楽易行水道楽」(易行の水道、楽しきことを信楽せしむ)と言われています。
人生を道に譬(たと)えれば、「道楽」とは「人生を楽しむ」とも読めます。それを私は「生活の味を味わう」と受け止めています。味には、甘い味、辛い味、酸っぱい味、苦い味、渋い味、醍醐味というのもあります。無限の味わいの世界があります。決してひととおりではありません。目の前の出来事から無限の味を味わいたいものです。
先日、姑(しゅうとめ)を浄土へ見送られたお嫁さんに会いました。入院中もお嫁さんには冷たく、感謝の言葉もない姑さんだったそうです。辛い看病だったといいます。ところが、亡くなった後で看護婦さんや同室の方のお話を聞いて驚いたといいます。「うちの嫁はいろいろと世話をやいてくれる、いい嫁なんです」とお嫁さんをほめておられたというのです。その言葉を聞いて、お嫁さんは恥ずかしさと済まなさで涙がこぼれたといいます。
人間には、他者の一面しか見えません。つまりひとつの味しか味わっていません。ところが、他者にはさまざまな面があります。目の前の出来事を無限に味わえる舌がほしいものです。味わいとは、甘いだけではありません。辛(つら)いことを辛(から)味にも転ずることができるのです。

武田定光 たけだ じょうこう・真宗大谷派因速寺住職
月刊『同朋』2001年7月号より