宗祖としての親鸞聖人に遇う

「伝親鸞聖人筆」名号について

(三本 昌之 教学研究所嘱託研究員)

 「伝親鸞聖人筆」とする六字名号と十字名号が二幅づつ、高山教区内の四か寺に伝来する。六字名号には「善信(花押)」とあり十字名号にはない。署名・花押、書体も聖人真筆ではない。それらの寺院は御旧蹟でもなく伝来は不明である。
 以前、これと同様の六字名号を新潟県と富山県の御旧蹟寺院で見た。富山の寺院では、転宗した際聖人から授与されたものと伝えていた。「伝聖人筆」とする同じ書体の六字と十字の名号が、岐阜(飛騨)、新潟、富山の寺院に伝来することから、もっと広範囲で多数存在する可能性があり、製作された場所や意図がずっと気になっていた。
 近頃知人が、先祖の高山の豪商に伝わった「親鸞聖人筆」六字名号と「由緒書」を見せてくれた。名号には「善信(花押)」とあり、先の「伝聖人筆」の六字名号と全く同じである。「由緒書」には次のように記されていた。

「延享三(一七四六)年に、信濃国戸隠山の修験者から十字・九字・六字三幅の名号を譲ってもらった。その後、宝暦十三(一七六三)年七月二十九日に名号の極め書きを頼んだ。十字・九字・六字の名号は、安貞二(一二二八)年秋、五十六歳の聖人が戸隠山に参籠して奉納したもので、六字は聖人が六角堂へ参籠した時、感得した名号である。近年、戸隠山の宝庫から三幅が発見されたので、東本願寺門跡に上覧のため上洛する途次商家に逗留した。主が“御開山様”の真筆を拝見することは“宿縁浅からず”“隨喜感嘆ふかく仏祖の大悲善巧の恵”と感じ譲渡を願い出た。すると戸隠山行勝院は“辞退なく譲書を相添、授与した」

とある。「伝聖人筆」名号の出処が戸隠山の修験者と判明した。飛騨の二か寺の十字名号は、この商家から出たものかもしれない。また他に九字名号が存在する可能性もある。
 贋作の「聖人筆」名号が出回るのにはいろんな要件がある。いわゆる「聖人御旧蹟」には、聖人の遺品が伝来しているはず、という先入観がある。当時、ほとんどの真宗の僧侶・門徒は聖人真筆を知らない。「善信(花押)」があれば、偽物という疑念をもたない。聖人が越後に流罪中、北信濃や善光寺へ参籠したという伝承が既にあり、それを背景として、戸隠山では「親鸞聖人真筆名号」を創出し、出開帳をしながら広範囲に売り歩いた。ターゲットは真宗寺院や篤信の豪商であった。門徒、特に篤信の門徒は疑うより先に合掌礼拝の対象としたため、このような門徒の崇敬の念を利用したのである。売り渡した後は、冥加の無い者には拝ませないよう秘蔵させたようである。
 真宗門徒は、親鸞聖人を「御開山様」と称して崇敬し、「正信偈」や「和讃」などの聖教に念仏の教えを深く戴く伝統に生きている。加えて遺品(聖教・名号などの手跡)に生前の聖人の聞思の姿や息吹を感じ取る情も抱いたと思う。「伝聖人筆」名号の真偽は重要である。しかし、本願念仏の教えを相続している門徒にとって、「善信(花押)」は、真筆か否かを超え、本願念仏の確かさを証すものとして受けとめられてきたのである。 

(『ともしび』2013年9月号掲載)

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