宗祖としての親鸞聖人に遇う

親鸞聖人と『観阿弥陀経』

(青木 玲 教学研究所助手)

 『観阿弥陀経』とは、『観経阿弥陀経集註』、『観無量寿経註・阿弥陀経註』などとも呼ばれる親鸞聖人の著作である。この著作は、料紙に『観無量寿経』と『阿弥陀経』が書写され、その経文の行間、経文の上下の欄外、紙背に善導大師の著作を中心に、こと細かく註記が施された巻物仕立てのものである。
 昭和十八(一九四三)年二月に西本願寺より発見され、翌年影印本が刊行されている。影印本の解説には、「二経を分離して両巻とし」とあることから、もとは一巻であったと考えられる。高田派専修寺には存覚書写本が所蔵されているが、それには「観阿弥陀経」と題号が付され、奥書には「二経一巻」と記されている。ここから、「観阿弥陀経」が原題名ではなかったか、と指摘されている。
 もちろん、『観阿弥陀経』という経典が存在するわけではない。しかし、二経に註記が施された聖人の著作に「観阿弥陀経」という題号が付されるところには、『観経』と『阿弥陀経』を「二経一巻」として受け止めていかなければならない必然性があることが示唆されているのではないだろうか。その意味で、「観阿弥陀経」という題号に、重要な意味があるように思われる。
 『教行信証』「化身土巻」に、

愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。(聖典三九九頁)

と述べられるように、親鸞聖人は二十九歳の時、法然上人の本願念仏の教えとの出遇いを通して、阿弥陀如来の本願に帰依された。それから越後へ流罪となる三十五歳までの約六年間、法然上人のもとで多くの門弟と共に、本願念仏の教えを懸命に聞き続けられたのだろう。『観阿弥陀経』は、筆跡や引用文などから、吉水にいた頃にはほぼ完成していた、と先学によって推測されている。吉水時代に親鸞聖人がどのような学びをしていたのかを具体的に示す史料はほとんどないため、『観阿弥陀経』は、若き聖人の学びが窺える重要な著作と言えよう。
 『観経』の流通分に、

汝好くこの語を持て。この語を持てというは、すなわちこれ無量寿仏の名を持てとなり。(聖典一二二頁)

と説かれ、『阿弥陀経』には「名号を執持せよ」と勧め、そのことを六方の諸仏が証誠することが説かれている。『観経』と『阿弥陀経』に一貫して説かれていることこそ、本願念仏である。法然上人の本願念仏の教えを、この二つの経典の上に確かめようとした著作が『観阿弥陀経』ではないだろうか。このような親鸞聖人の学びは、主著『教行信証』にも展開するものと考えられる。その意味で、『観阿弥陀経』は、親鸞教学の原点を明らかにする著作と言えるだろう。
 「本願念仏の教えに出遇ってほしい」。『観阿弥陀経』は、私にそのように呼びかけているように感じる。

(『ともしび』2013年8月号掲載)

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